1990年代のハワイのミュージック・シーンに於いて、最もエポック・メイキングな作品は、サンランドの「ウィー・アー・オンリー・ヒューマン」だと言い切っていいだろう。
スウェーデン・ストックホルム出身のDJであり、音楽プロデューサーでもあるヘンリー&ピーター・ベルグストーム兄弟が、オアフ島マノアにプライベートスタジオを構え、自らの構築したユーロビートのトラックに、ハワイ的な何かを乗せ、全く新しいダンス・ミュージックを生み出すために活動を始めた。
教会のコーラスや、ローカルのさまざまなタレント・コンテストなどで、お眼鏡にかなう才能を探し続けた結果、クラウディア・ヴァスケス、チャド・ゲレロ、ナタリー&イオラニ・カマウウの4人と巡り会い、サンランドを結成することとなった。ヘンリーとピーターが打込んだユーロビートに、クラウディアとナタリーのキュートなヴォーカルが弾け、曲間にイオラニの謳う正統派のハワイアン・チャントがミックスされた、なんとも不思議な魅力を持った楽曲「ウィー・アー・オンリー・ヒューマン」は爆発的な勢いでみるみるローカルのラジオのヘヴィー・ローテンションとなっていった。
(お気づきの方も多いと思うが、ナタリーとイオラニは、今やフラ界の重鎮となったあのお2人)
1998年5月にUHマノアのスタン・シェリフ・アリーナで開催され、衛星回線を通じて世界中に中継された、第47回ミス・ユニヴァース・ページェントは、そんな彼らのデビューを世界に知らしめるイヴェントとなり、世界中で25億人が視聴した。
楽曲は当初、ダンスミュージックらしく、リミックスやエクステンド・ヴァージョンの含まれたシングルとして、リリースされたが、デビュー・アルバムとなる「オンリー・ヒューマン」では、ミリアム・マケバの「パタパタ」やイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のカヴァーを含む14トラックが収録され、チャドが謳うちょっと切ないバラード「ジュリエット」がローカル・チャートを賑わせた。
そして、全米ではCBS系レーヴェルと、ヨーロッパではワーナー・ミュージックと、そして日本ではJVCビクターと契約を結び、ワールドクラスのビッグネームとして羽ばたき始めたが、このチャンスで小銭を稼いだベルグストーム兄弟は、その拠点をマイアミに移してしまい、セカンドアルバムの制作もそこで行おうとしたために、すでにフラ業界で名前を知られつつあったナタリーとイオラニは脱退を決意し、その勢いは一気に減速していくこととなる。
ユニークな立ち位置で、ひと時代を気づいたサンランドだったが、2年余りの短命な徒花として幕を閉じた。
- We Are Only Human (Pop Radio Mix)
- Shine
- Juliet
- Pata Pata
- Blood Sweat And Tears
- Moon Shadow
- Hotel California
- Bus Stop
- September
- Good Life
- Time After Time
- Runaway
Bonus Tracks For Japan - We Are Only Human (House Radio Mix)
- Reach